この人の場合は、次のような誓いをもってされたのである。すなわち、彼について、こう言われている、「主は誓われたが、心を変えることをされなかった。あなたこそは、永遠に祭司である」。
主は誓いを立てて、み心を変えられることはない、 「あなたはメルキゼデクの位にしたがって とこしえに祭司である」。
それについては、聖書に「あなたこそは、永遠に、メルキゼデクに等しい祭司である」とあかしされている。
またイスラエルの栄光は偽ることもなく、悔いることもない。彼は人ではないから悔いることはない」。
神は人のように偽ることはなく、 また人の子のように悔いることもない。 言ったことで、行わないことがあろうか、 語ったことで、しとげないことがあろうか。
神の賜物と召しとは、変えられることがない。
また、ほかの箇所でこう言われている、 「あなたこそは、永遠に、 メルキゼデクに等しい祭司である」。
その上に、このことは誓いをもってなされた。人々は、誓いをしないで祭司とされるのであるが、
かつ、死ということがあるために、務を続けることができないので、多くの人々が祭司に立てられるのである。
律法は、弱さを身に負う人間を立てて大祭司とするが、律法の後にきた誓いの御言は、永遠に全うされた御子を立てて、大祭司としたのである。